2008年07月21日

借金の始まり

「おまえ、高校出たら就職しろ!」父親の言葉だった。

まぁ自分で言うのもなんだが、地元では一番と言われる高校に行っており、同級生のほぼ全てが進学する中で、就職という選択肢は屈辱的な意味を持っていた。

何故、父親がこんなことを言うか?
理由は簡単である。父は小さな町工場を経営していたが、既に借金まみれで立て直す余地などほとんどなかったのである。

小さな地方都市で、地元には進学できる先がない。なんとか通える範囲を広げても「底辺校」と呼ばれるようなところがいくつかあるだけである。

進学には大都市での一人暮らしが必要になってくる。
なんとか自力でと思い進学したが、世の中そんなに甘くない。
中には奨学金とアルバイトで自力で卒業した人もいるだろう。
別に苦労は仕方がないと思ってた。生まれる家を自分で選べない以上、そんなことを考えたところで仕方がないという感情だ。

しかし、奨学金は受けられなかった。
なぜなら「親の収入が高すぎるから」
借金まみれの親は、更にお金を借りるために経営する会社から書類上多額の報酬を得て、全額を貸し付けるという紙の上の高額所得者だったのだ。

なんとか国の融資制度で、入学金や当初の授業料、下宿のためのアパートの費用などは賄えた。しかし、残った金額は会社の運転資金に使われてしまった。
当時(昭和60年代)、自給は600円程度。それでも地方都市から見れば破格の金額だったのだが、アパートの家賃がまず30000円。
風呂なし共同トイレでも都心部であれば普通だった。
月に200時間働いても12万円。休みは週1日で毎日働いても普通ならこれが目一杯といってよい。所得税を引かれて11万円ちょっとだ。
家賃以外にも当然生活費はかかる。さいわいアルバイト先は飲食店で食事には困らなかった。本来なら「従業員価格」ってのがあるけど、勝手にタダで食べていた。

風呂代とか電気代とかいろいろ払うと、授業料のための貯金はギリギリ以下の水準まで生活を落としてなんとかなるというレベルだった。

しかし翌年には時給も700円まで上がっており、一息つけるのかと思っていたら、最悪の事態が起きた。
国民年金の強制加入である。そして所得税に加え住民税・健康保険税まで加わる。手取りベースでは逆に2万円近く下がってしまった。

勤労学生控除というのがあるが、これ以下ではとても生活が出来ない。
2年次の後期授業料を支払った直後、過労で倒れた。
学校と、ほとんど休み無しのアルバイトを1年半掛け持ちしていたのである。そして1週間ほどアルバイトを休んだ。

当然お金が足りなくなる。今思えば、国民年金なんて滞納しとけばよかった。政治家だってやってたんだろって思いたくもなる。

そんな折、とうとう父親の会社が破綻した。
実はうれしかった。書類上の高額所得がなくなるわけで自分にも奨学金が借りられる。そうすれば寝る時間が増やせる。

しかし奨学金は借りられなかった。緊急採用という制度もあるのだが、父親の前年の収入で判断されると言う。

精神的に限界だった。でも学校は辞めたくなかった。
しかしいい考えは浮かんでこなかった。
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posted by ヤマト at 20:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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