2008年07月26日

最悪の借り方

貸金業用語で「属性」なるものがある。

これからお金を借りようとする場合「属性」の優劣によって条件が違ってくると言うのだ。

最高の属性といわれているのが「公務員」
収入が安定しているというのが一番の理由だろう。

単純に以下、大手企業→中小→零細→自営となると聞く。
まぁ大手企業と聞くと「上場企業」なんて思うだろうが、保険の種類によると言う。
同じ社会保険でも組合健保と政管健保で分けるとも聞く。

属性と言うのは職業だけではない。
「ドコから借りているか?」「何社から借りているか?」など、様々な条件を数値化し、与信枠を決めると言う。

ヤマトは最初に「武富士」から借りてしまった。
属性的には「アルバイト」であり、健保も国保だから仕方のない部分もある。
本来なら授業料といった性格のものは、何としても公的な援助を頼るべきであった。浅はかと言われればそれまでである。

ところが、後に仲良くなる武富士支店長に聞いたのだが、いわゆる属性の高い人が、最初に武富士に借りに来ると言う。
もっとも、武富士とて貸すのが仕事、わざわざ「うちから借りなくてももっと条件のいいところがありますよ」と案内するはずもない。

最初に高利の金を借りるというのは本当に疑問でもある。
武富士と言えば「親が就職させたくない企業」で何年にも渡って不動の首位を走ると言うほど有名な企業である。
かくいうヤマトも「有名な武富士」だから最初に行ったのだろう。

ところが、これで「高利の借り入れ(1)」という属性の悪化が生じる。
一般的に信用情報会社は、ネガティブ情報以外は積極的な情報交換は行っていない。通常ホワイト情報などと呼ばれる「残高」「借入先」「限度額」という情報は会社が違えば見えないのだ。

ところが、銀行なども「系列の保証会社」や、場合によってはサラ金などと提携することによってこうした「ホワイト情報」を参照していると思って間違いない。

1社なら大丈夫で始まることの多い債務問題。低利の融資が受けられない状況を自ら作り出していては解決するワケがないのだ。
posted by ヤマト at 22:56| Comment(43) | 多重債務への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月25日

考えることを放棄しない。

昨日の記事で「他人に知恵を借りるべし」と書いた。

ただ一つ気を付けなければならないのは、自分の手法が間違って多重債務になった結果、考えることを停止してしまうことである。

お金が無いからとか、多額の借金があるからなんて相談をされたところで、有用な回答というのは実は無いのが正解である。

せいぜい無利息や低利息の公的窓口や手続きを教えてもらえればラッキーな程度なのだ。

多重債務に陥るには原因がある。その原因の排除のほうが重要な問題であることに気が付かねばならないだろう。
よく借金が親にバレて、一度は肩代わりしてもらっても、すぐにもとの木阿弥なんて事例は掃いて捨てるほどある。

ヒドい例だと、多重債務で「もう返せない」って状況が理解できずに、まじめに働いているからという思い込みで、更に高利の借金を重ねると言う愚考に陥っていることすらある。

ある弁護士が言っていたのだが、まじめな人ほどどうにもならない(自己破産以外に選択肢が無い・ヤミ金からも借りている)ような状況に追い込まれてようやくというケースが多いらしい。

一時期商工ローンなどが「包括根保証」という制度を使って、多重債務者だけでなく、親戚や知人や友人を連帯保証人として巻き込んでしまうと言う事実がクローズアップされている。

こうしたケースの場合、連帯保証人に迷惑がかかるからと、最後まで自己破産に抵抗するのがマジメな人であるというのである。

ところが考えてみると、自身の信用だけでお金が借りられない状況というので、連帯保証人まで巻き込んで破綻するのである。

もし、今ヤマトが借金の連帯保証人を頼まれたとすれば、相手の状況を精査し、債務整理が必要であれば強く勧めるし、連帯保証人を必要としなくても低利の公的融資を調べたり、様々な手を尽くす努力をする。

連帯保証を断る、或いは債務整理を勧めるというのは、相手に「恨まれる」事なのかもしれないが、保証を被る事になれば、今度は自分が相手を恨むことになってしまう。

連帯保証を「お願いされる」ということは、相手とはそれなりの関係であると思われる。だからこそ正しいと思われる解答を用意するのが必須になってくる。

多重債務の原因が「仕事」にあることだって考えられる。
給与は普通でも、自己負担の金額が大きいとか、ノルマがあって実は立替が日常茶飯事とか、結局考えてみると「ノルマのための借金」なんて話も良く聞く。

場合によっては「転職」と言うことも考えなければならない。
キチンとした会社であれば、採用時に身元保証人が要求されることが普通である。借金の保証人にならなくても、就職のための身元保証くらいなら引き受けてもよいだろう。

父親が口癖のように言っていたのが「(連帯)保証人には迷惑をかけられない」

最終的に「子供を取るか?保証人を取るか?」で、父親は保証人を選択してしまった。それで保証人に迷惑がかからなかったのか?
当然答えはノーである。
子供の将来を担保にして数年の時間を稼いだだけに過ぎなかったのだ。

恨むのは父親だけではない。父親が迷惑をかけられないと言っていた保証人をヤマトは恨んでいる。

連帯保証人を引き受けるというのは、ほとんどの場合「善意」だろう。
その善意すら「恨まれる」というのが借金の本当の怖さなのだ。
posted by ヤマト at 21:22| Comment(1) | 多重債務への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月24日

知恵を借りるのは良いことだ。

たら・れば、は勝負事では禁物と言う。
人生に於けるたら・ればもまた然り。

平成元年、とうとうお金を借りてしまった。それも武富士から。
武富士というのは、サラ金とも呼ばれる高利貸し。
当時借りた30万円には毎月8000円余りの金利が必要だった。
時給700円のアルバイトでは税金や保険料を考えると2日を金利のためにムダにしていることになる。
一ヶ月に働けるのは、20日。これでは破綻へ一直線だ。

たら・ればの話になるが、当時の育英会や、20歳になったということで、銀行にも自分名義で「教育ローン」が受けられないかを相談している。
当時とすれば「出来る限りのことをやった最後の手段」のつもりだった。
実際に復学のために、いろいろな制度を調べたが、まだまだ手を尽くしきれていなかったと今では思う。

結局は自分の中だけで、もうすこしいろいろな制度について、数多くのところに前もって相談していればと思っている。

例えば、今同じ境遇の者がいれば、かなりの内容まで知恵を貸すことが出来ると思っている。
当たり前だが、借りた知恵には金利が付かない。
借りるのはお金の前にまずは知恵である。

学校にしても「授業料未納」でクビになることはない。
最近「入学金未納」で入学式への参加を「見合わせられた」ことが問題になったが、特に私立の学校であれば尚の事、授業料未納が問題視されることはないと言い切れる。
まず、親には監護する子弟に「教育を受けさせる義務」があり、授業料の負担は当然親の役割である。
学校側も「クビ」にして何のメリットもないどころか、在籍数に応じて国が負担している補助金が削減されると言う弊害しか残らない。

「猿芝居」と言われようと、学務課へ行って一丁お涙頂戴の演技をブチかまして、後は卒業後、細々とでも払えばよい。

病院だってそうだ。急なケガや病気にお金が追いつかないこともある。
医療費の未納で「追い出される」こともまずない。
健康保険を持たない外国人がたらい回しにされたと言う話がある。
病院とて経営だから収入は大事なものであるが、日本人であれば保険で大部分が賄われる。そして健康を回復してから払えばいいのである。
ほとんどの病院では退院時に「誓約書」を書くことで、問題なく診療を受けられる。
新宿の赤十字病院が、数年前に閉鎖になったと聞く。
保険を持たない外国人であっても「赤十字」の看板の下で診療拒否が出来ず、しかも多くは不法滞在のもので、事実上「ボランティア」状態だったと言う。

こう書くと「滞納のススメ」のように思うだろうが、払えないところを無理して支払うとどうなるか?ということである。
結局、シワ寄せの行く先が違ってくるだけのことである。

病気が回復したのは良いが、家庭環境が二度と回復できない重篤な危機に陥るというのはまさに本末転倒である。
posted by ヤマト at 10:00| Comment(0) | 多重債務への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月23日

とうとう借りてしまった。

お金がなければ働けばいい。誰もが普通はそう考える。
しかし、ある水準以上の金額であればそうは行かない。

「モノを買いたい」といった衝動的なものなら「貯めてから」という選択をすればよい。
授業料・生活費は2年後3年後などとは言ってられない。それで頭が一杯だった。

お金がないから残業させてくださいなんて言って、「ではどうぞ」という事業者はいない。そんないい加減な事業は成立しないからだ。
ヤマトが働いていたのは深夜営業のレストラン。それが、24時間営業になるという。当然、そのままでは人は不足する。

チャンスとばかりに交渉したが、1日8時間以上の勤務は本部からダメだと言われている。これは8時間を超えた分には「手当て」が必要だからだそうだ。
更には週40時間厳守(労働基準法)に加え、アルバイトは週24時間以下での勤務が望ましいとのこと。
つまり国民年金の強制加入で、企業負担の大きい厚生年金加入希望者が続出したことを受けて、加入義務のない時間まで削減しようと言うのだ。実に企業である以上、お金にシビアにならざるを得ない。

そして20歳を迎えたのを機に「法律上の契約」が可能になったことで、とうとう借りてしまった。

借入先は武富士。平成元年のことであり、ヤマトにとって新しい元号は借金の始まりに過ぎなかった。
金額は30万円。滞納していた授業料は前後期分で60万円以上であり、足りなかったが、学務課へ行って事情を話し、前期分の一部納入として扱ってもらった。給料日には前期分残額を精算できた。とりあえず半年の猶予が出来たように思った。

この頃までは「お金がなければ相談する」という習性があった。
それがいつの頃からか「なければ借りる」になってしまった。
配達記録で届く「カード」に勝ち誇った気になったこともある。
それがいつの頃からか「今回は残念ながら・・」の紙キレに代わる。
posted by ヤマト at 07:36| Comment(2) | 多重債務への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月22日

もうダメなのか。

父の経営する会社が破綻したことで、希望の糸だった奨学金に縋ったが、結局出ないという。学校の制度も頼ったがやはりダメだった。

学校の制度は「出席日数」などが評価されるようで、毎月200時間以上働いていては中々100%とは行かない。
父親は学校を辞めろと言う。どう考えても親の言葉じゃない。

借金で狂った人間がまともな判断能力を失った行く末である
新聞販売店に住み込んで奨学金を貰うという制度があった。
学校に相談したところ「絶対にやめなさい」と。

中にはこの制度で卒業できた人もいるだろうが、ほとんどが挫折するという。しかも授業や就職活動が多く犠牲となり、望まない人生を送るぞとまで言われた。実際に脅しではなかった。人の弱みに付け込むのはどうやら金貸しだけではないらしい。同級生にいた新聞奨学生のほとんどは自分より先に学校を去った。

何度も親には電話した。そして途中からは電話にすら出なくなった。
借金を抱えた人間の悲しい習性である。

ようやく「3ヶ月待ってくれ。何とかする」と言わせた。
3ヶ月あれば何とかなる。3ヶ月耐えよう。必ず何とかなる希望が出てきた。

そして3ヶ月目、どうなったかを聞きに電話した。
「どうにもならなかった」そんな返事は期待しなかったが、もっと最悪な答えが返ってきた「そんなことを言った覚えはない」

体中から血の気が引くのを感じた。もう頼るところはどこもない。
1年休学して、なんとかその間にお金を貯めよう、そう考えたが、休学には授業料その他の半額相当が必要になると言う。これでは簡単に休学も出来ない。

時間は無為に過ぎ去った。そして、ある日親からの電話があった。
「授業料未納だと保証人に請求すると通知が来た。即座に学校を辞めろ」

いくら連帯保証人とは言え、借金取りでない学校が出来ることと言えば手紙を出すことくらいである。放って置くように言えばいいだけのことである。

なんとかしなければ・・・・・・・・
「お金を借りよう」これが転落のキッカケになるとは思わなかった。
借金で狂った親を見てきただけに、オレは大丈夫。それが過信だった。
posted by ヤマト at 14:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月21日

借金の始まり

「おまえ、高校出たら就職しろ!」父親の言葉だった。

まぁ自分で言うのもなんだが、地元では一番と言われる高校に行っており、同級生のほぼ全てが進学する中で、就職という選択肢は屈辱的な意味を持っていた。

何故、父親がこんなことを言うか?
理由は簡単である。父は小さな町工場を経営していたが、既に借金まみれで立て直す余地などほとんどなかったのである。

小さな地方都市で、地元には進学できる先がない。なんとか通える範囲を広げても「底辺校」と呼ばれるようなところがいくつかあるだけである。

進学には大都市での一人暮らしが必要になってくる。
なんとか自力でと思い進学したが、世の中そんなに甘くない。
中には奨学金とアルバイトで自力で卒業した人もいるだろう。
別に苦労は仕方がないと思ってた。生まれる家を自分で選べない以上、そんなことを考えたところで仕方がないという感情だ。

しかし、奨学金は受けられなかった。
なぜなら「親の収入が高すぎるから」
借金まみれの親は、更にお金を借りるために経営する会社から書類上多額の報酬を得て、全額を貸し付けるという紙の上の高額所得者だったのだ。

なんとか国の融資制度で、入学金や当初の授業料、下宿のためのアパートの費用などは賄えた。しかし、残った金額は会社の運転資金に使われてしまった。
当時(昭和60年代)、自給は600円程度。それでも地方都市から見れば破格の金額だったのだが、アパートの家賃がまず30000円。
風呂なし共同トイレでも都心部であれば普通だった。
月に200時間働いても12万円。休みは週1日で毎日働いても普通ならこれが目一杯といってよい。所得税を引かれて11万円ちょっとだ。
家賃以外にも当然生活費はかかる。さいわいアルバイト先は飲食店で食事には困らなかった。本来なら「従業員価格」ってのがあるけど、勝手にタダで食べていた。

風呂代とか電気代とかいろいろ払うと、授業料のための貯金はギリギリ以下の水準まで生活を落としてなんとかなるというレベルだった。

しかし翌年には時給も700円まで上がっており、一息つけるのかと思っていたら、最悪の事態が起きた。
国民年金の強制加入である。そして所得税に加え住民税・健康保険税まで加わる。手取りベースでは逆に2万円近く下がってしまった。

勤労学生控除というのがあるが、これ以下ではとても生活が出来ない。
2年次の後期授業料を支払った直後、過労で倒れた。
学校と、ほとんど休み無しのアルバイトを1年半掛け持ちしていたのである。そして1週間ほどアルバイトを休んだ。

当然お金が足りなくなる。今思えば、国民年金なんて滞納しとけばよかった。政治家だってやってたんだろって思いたくもなる。

そんな折、とうとう父親の会社が破綻した。
実はうれしかった。書類上の高額所得がなくなるわけで自分にも奨学金が借りられる。そうすれば寝る時間が増やせる。

しかし奨学金は借りられなかった。緊急採用という制度もあるのだが、父親の前年の収入で判断されると言う。

精神的に限界だった。でも学校は辞めたくなかった。
しかしいい考えは浮かんでこなかった。
posted by ヤマト at 20:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プロローグ

最初の借金がなければ、そもそも多重債務なんてありません。
何の理由もなくお金を借りる人はいないでしょう。
お金がないからお金を借り、返せないから借金で賄う。
何のことはない「悪循環」を作り出していただけのことである。

方法さえ間違えなければ、多重債務までは行き着かないのである。
ただ多重債務に陥ったということは、正常な判断が出来なくなっていると言える。

周囲には借金で転落してしまった知人が数多くいる。何のことはない、それ以上にヤマトも借金に落ちたひとりである。

そして借金と向き合い、なんとかココまで帰ってきた。
借金と戦うには知識が必要だ。自分の得た知識が役に立たないだろうか?

連載形式で、転落から復活への道を書こうと思う。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
posted by ヤマト at 19:31| Comment(1) | 多重債務への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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